家族問題を抱えている人がとても多いです。今日も、おひとりセッションをさせていただきました。40代の女性で、zoom通話にて。
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家族愛について、「こういうものだ」と定義する事は、私は無意味だと思います。
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家族愛の考えは、その方がどれだけ癒されているかによって、また、育った環境などによって、人によって、考えがかなり変わってくるからです。
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家族問題を抱えている方に対しては、「この方は家族愛を学んでいる最中なんだな」と温かく見守らずにはいられません。
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ひとつ言える事は、「こういうのが愛だ」という考えに縛られてしまうと、その方の人生は苦しくなってきます。
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家族はわかりあえて当然だ
妻なんだからこうしてくれて当たり前だ
自分が大変な事を察してくれて当然だ
記念日には祝ってくれるのが愛だ。。など
あげるとキリがない、その考えは
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その方が成長過程で、無意識に持ってきたものであり
気付くのがとても大変です。
だから、苦しいのです。
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私も例外なく、家族問題には長年苦しんできました。
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「誰にもわかってもらえない」
「私は大切にされていない」という
根深い孤独感が
癒された瞬間は、
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「自分は、家族の事を、少しでもわかってあげようと努力した事があっただろうか?」
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と、気づいた瞬間でした。
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その瞬間、
「本当は愛されていた。本当は、たくさんいろんな事をやってもらっていた事に、長年気づかなかった」
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「愛とはこういうものだ、という考えに縛られていて、愛があった事に気がついてなかった」
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と悟ったのです。
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家族は、どんなに理解できなくても
理解しようと寄り添っていく事はできます。
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時に理解できず、寄り添えなくても、「愛する」事はできます。
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じゃあ、
「愛する」とはどうすればいいのか。
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私が思うのは、
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「この人に、私が与えられる愛とはなんだろう?」
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を、考えてあげる事だと思うのです。
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ケンカして、わかりあえなくても放っておいてあげるのが、愛かもしれない。
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何もしなくても、言わなくても、
愛おしく思う波動を与える事かもしれない。
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その時その時、
「この人に与えてあげられる愛ってなんだろう」
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たとえ、相手が喜んでくれなくても。
相手が、それを愛ととらえなくても。
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自分が、これが愛かもしれない、と思う事を
与えてあげられる人が、本当に愛溢れる
豊かな人かもしれません。
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愛と、豊かさ。
この私の考えが、反発してされても構いません。
それは違うと思われても構いません。
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私はいつでも、ここにいます。
あなたの本質、光も闇も、受けいれながら。
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