就職するも耐えられず、1年で挫折
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そんな変わった子供だった私がそのまま大人になり、地元岐阜から東京への大学進学、そして就職へと続きます。
生活のためにはどうしたって働かなくてはならない。。。バブルがはじけて超就職難の時代にやっと入れたのが、保険会社の営業でした。
まわりに一生懸命あわせようと、また仕事に慣れようと頑張ったのもつかの間。。。
変わった子供の私がお勤めという枠にはまった形にはまれるわけもなく、1年で挫折しました。

「私は普通にお勤めする事さえもできない」
挫折感ぼろぼろなまま、それでも東京で一人暮らししていたので、生活のために我慢して、工場などの単純作業のアルバイトで食いつなぐ日々でした。
当日の憧れは、「起業したい」でした。スピリチュアルには一切関心がありませんでした。なんでもいいから、起業や独立したいと思っていました。
自分で自由に働き方を組み立てられると思い心底憧れました。私はとにかく時間に縛られるのが一番つらかったのです。

そんな時に美容機器の業務委託販売の話が舞い込み、私は起業で食べられると思い一生懸命頑張りました。
ところが、無理な売り込みや、先輩の言う事を素直に聞かない、などの理由でこれも挫折。200万以上の消費者金融の借金を抱えて終わってしまうはめに。光熱費も払えない日々が続きます。

1日18時間労働、ついに脳の病気に、そこで天の声が
さあ、これをなんとか返さなくては。。プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、私は一人暮らしを続けながら時給がなるべくいい派遣社員の事務員を昼間やり、夜は恵比寿の居酒屋で働きました。
嫌でしかたなかったお勤めを、若さのエネルギーで乗り切った日々でした。
そして、営業事務と居酒屋店長補佐という経験を得てコミュニケーション能力と、お客様へのサービス精神を徹底的に磨きました。

ところが、いくら若いとはいえ
一日18時間労働。私は限界にもかかわらず身体にムチうって働いていたため、ある日ついに倒れました。
一人きりのアパートで
私が天の声を始めてその時はっきり聞いたのです
「救急車を呼べ」
この時私がもし救急車を呼ばなかったら、私は半身付随でした。髄膜炎という脳の病気でした

私の身体、ごめんね。そして東京を離れる
この時に、天の声をはっきり聞いたおかげで、
「私は神様に、天に守られている。宇宙に守られている」と漠然とですが確信できるようになりました。
「私は自分を大切にしていなかった。私の身体、ごめんね」
退院した後、労働時間を減らし、この後少しずつでしたがお金も完済。
プレッシャーから解放され、当日付き合っていた今の主人とすぐ結婚。30歳でした。

これを機会に私は東京を離れます。東京の地場があわないのは自覚していました。とにかく東京に住んでいると疲れるのです。
「また、あの天の声が聞きたい」
「私を守ってくれている存在の声が聞きたい」
当時はこんな風に思いながらも、まだまだスピリチュアルに興味を持つことはありませんでした。ところがある日、私がヒーリングに興味をもつきっかけとなった出来事がきたのです。

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